ココロデッサンとパッケージ
カトウヨシオ(デザインのココロ研究室 代表)
2020年のコロナ禍の頃、皆さんはどう過ごされていましたか?パッケージデザインの仕事、何かを創り出すことに関わらず全ての活動は、社会環境が大きく影響するということを改めて実感した日々でしたね。
「コロナが何なのか?わからない恐怖・命の危機」が世界中にあり、とにかく多くの人との接触をしない「ステイホーム」で、日本全体が暗い色の布で覆われてしまいました。いわば「自由」を失った世界になったわけです。あの頃「自由」の大切さを改めて思い知らされました。
そんな日々が続くうち「家に閉じこめられる」を反対に、「閉じこもる自由」として考えてみたのです。「される」を「する」ことによって気持ちの「自由」が得られました。考えの向きを逆にすることで「ココロが自由」になった気がしたのです。長いコロナ禍の中、自宅に篭り、自由に「ココロの中の世界」で遊び、表現を続けました。
そうやってできた作品の展覧会が、昨年開催した個展「手から生まれた自分も知らない世界YOSHIO COCORO DESSIN 」(2023・11/29〜12/5・東京・南青山ギャラリー5610)です。
ココロデッサンは、目の前のものを描くというデッサンから離れ、人生の記憶や、ココロが生み出すカタチを見えるようにする自由な試みの表現です。
無意識とカラダの動きでデッサンすると、自分でも予想しなかった世界が現れます。画面の中には、なんだかわからない「とぼけた奴ら」が表れ、新しい仲間と出会います。そいつらは上手に描こうと意識すると決して現れません。そんな「ひねくれた生きもの」が大勢いるココロデッサンの世界です。
自分を忘れ画面に入り込んで描いている時、自分が自然の一部であるように思う時、失敗だと思って諦めた時などに、突然、面白い奴らが活躍するのです。
コロナ禍で自宅に閉じ込められている不自由な時にも、ココロの持ち様で「自由」に生きられる世界があったのです。
制作では、日常で使われ捨てられる日用品(パッケージやカレンダー)を用いました。古いカレンダーの裏側、医師によって処方された薬袋、日東紅茶のティーバックやジュースの紙製パッケージを解体して裏側にデッサン(ドローイング)したものです。
画材屋に行けない状況だったので、生活の中にある廃棄されるパッケージに表現することにしました。捨てられる運命のパッケージを生き返させることができたら幸せだなあと思ったのです。
廃棄するときに出会ったものが、アセプティック紙容器のアルミを剥ぐ作業中に出てきたクラフト用紙でした。クラフトの風合いが、とても美しく見えたのです。そして捨てられるものだから、楽に描け、自然に思いもよらぬ形が現れました。
その時の気分は、子供の頃の落書きの感覚そのもので、表現する原点を見つけた様に思えました。その表現のネーミングを、デザインの語源「ラテン語のデシネール」と「英語のデザイン」の間のフランス語「デッサン」を使い「ココロデッサン」と名付けました。
捨てられるパッケージを、他にないオリジナルな「作品=宝物?」にする表現は、ひょっとするとパッケージデザインの、小さなSDGsの活動になるかもしれません。