西川 圭

サントリーホールディングス株式会社 
デザインセンター 
クリエイティブディレクター


昨今、SDGsやカーボンニュートラル、サーキュラーエコノミーなど、環境課題に関するニュースを目にしない日はない。それに併せて、近年の異常気象だ。とある新聞の記事に「今年が毎年一番寒い(要は毎年暑くなっていく)」といった記事が掲載されていたのを見てげんなりしてしまった。誰もが夏の“命の危険”を感じるような猛暑は記憶に新しいと思うが、2023年11月の東京都心では最高気温が27.5度を記録し、100年ぶりの記録更新になったらしい。11月生まれの私は、秋の物悲しい肌寒さ、ツーンとした真冬の香りが大好物だ。今年は物悲しくもなく、鼻が刺激されることもほとんどない“腑抜けた”秋冬だったように思う。私にとってこれは「地球が壊れはじめている」サインとしてあまりあるものだ。今回、“環境”というテーマでの寄稿を依頼されたが、私には幾分荷が勝ちすぎている。ただ、せっかくいただいた貴重な機会なので読んでくださる方々に何かしらの刺激を提供できればと考えている。

今回私が考えたことは大きく二つある。一つ目は「作り手の責任」、二つ目は「生活者の価値観」についてだ。現業であるサントリーでの商品化事例はもちろんのこと、他社事例なども交えつつ、この二点を私なりに考察してみようと思う。

なお、「環境とパッケージ」というお題を頂戴しているが、所々で「環境とモノ」に対する言及になっている箇所がある。商品の価値は、中身だけでもパッケージだけでも成立しない。故にパッケージだけを切り出して語るのが難しい部分ではモノとして表現をさせていただいた。

■作り手の責任

何かを“生み出す活動”は大なり小なり環境に負荷をかけるものが多い。そして、デザイナーは“生み出す活動”の急先鋒である。生み出す以上は、責任が付いてくる。我々デザイナーの日々の判断の積み重ねが、これからの地球環境を左右すると言っても過言ではない。

デザインの概念は、昨今大きな広がりを見せている。“形”を生み出す作業(狭義のデザイン)から“価値創造・課題解決の手段”へ、モノ・コトづくりの上流へと概念が広がったと言える。さらにこれからは、生み出した商品が生活者の手に渡り、どのようなライフサイクルをおくるのかまでを見据えることが求められるようになるのではないか。無印良品の製品に「その次があるタオル」という商品があり、これを初めて見た時は「やられた〜、面白い!」と感激したのだが、正に商品の“その次の次”くらいを見据えることが求められ始めているように思う。この流れは近年では「地球環境を維持しつつ、経済活動を発展させ社会を豊かにする」ことを標榜した“サーキュラーデザイン”として世界中に広がりを見せている。

パッケージデザインの基本機能は「製品を守ること」「製品の価値を生活者に伝えること」だが「環境に対する配慮(サステナブルな製造プロセス・素材選定など)」もそこに“当然”含まれる未来がもうそこまで来ていると感じている。

では、何故デザイナーが環境課題に対する意識をもつ必要があると考えているのか。理由は単純で、商品の“デザイン”と“環境課題”を切り離して考えることは難しく、また効率も悪いためだ。例えばここに環境対応の素材とそうでない素材があったとする。素性が異なれば確実に質感や特性に差が出る。デザイナーはさまざまな条件を勘案した上で最も相応しい素材や加工などの組み合わせを見つけ出し、知覚品質に責任を持つ立場にある。また、素材をどう活かすかを考えるのもデザイナーの大切な役割だ。アイデアを組み立てる段階で、これらの情報が全てテーブルの上に乗っていることで初めて効率よく最適解を導き出せる。“環境対応”だけを後付けというのは効率も悪く、知覚品質のバランスも壊しかねないことがお分かりいただけたと思う。
故にデザイナーには環境課題に対する情報にアンテナを張り続け、新しい技術や素材の情報はアップデートし続けることが求められる。

なお、現在の日本では環境対応をしていることが、商品の購入意向に直接的に強い影響を与えるまでには至っていないように感じられる。そもそも環境対応は、私たちが暮らしていく上で“当然”考えなければいけないことであり、対応をすることでプラスアルファの価値を作り出すというよりは、対応を“行っていない”ことがネガティブに目立つ世の中になっていくように思われる。

では、ここからは具体的な事例を交えながら考察を進めようと思う。

●三方よしを目指す~天然水2Lボトルの進化~

天然水2Lはインフラに近い商品だと言える。6本入りの箱で買われる方が非常に多い。そのため、飲んだ後の空容器が嵩張るというお客さんの“不(不満、ストレス)”が以前から顕在化していた。同時にサントリーとしては正しく分別していただき、リサイクルにつなげたいという想いがあった。そこで天然水ブランドのマーケティング部、包材開発部、デザイン部が同好会的に“たたみやすい2Lボトル”の開発を始めた。その同好会発足から約3年後の2023年、満を持して「小さく、たたみやすいボトル」を世の中に送り出した。畳まれた空容器はおよそ1/6程度のサイズとなり、お客様の“不”も多少は小さくできたと考えている。キャップ、ラベル、ボトルの分別にも繋がり、嵩が減ることで空ボトルの回収時にも一度に沢山運べるというメリットもある。お客様の不の解決が環境課題の解決にも繋がり、結果としてブランドイメージの向上にも寄与した。 “お客様よし、環境よし、ブランドよし”の“三方よし”の流れを生み出せつつある事例である。

●空のペットボトルはゴミか?~「ボトルは資源!サステナブルボトルへ」~

現在サントリーが発売しているペットボトル飲料には「ボトルは資源!サステナブルボトルへ」というマークが入っている。使用済みペットボトルを新たなペットボトルに再生することを「ボトルtoボトル 水平リサイクル」といい、化石由来資源の削減とCO2の削減に寄与する。この活動のブランディングに参画した際、最初は「いかにリサイクルを喚起するか」ということを議論していた。しかし冷静に考えると「ペットボトルはリサイクルをしなければならない」ことくらい誰もが知っている。それでもなおリサイクルが100%なされていない原因はどこにあるのだろうか?
そこで一つの仮説として次のようなことを考えた。飲み終わったペットボトルは生活者にとって一度頭の中で“ゴミ”にカテゴライズされる。その上でゴミをわざわざリサイクルに回す、という思考が働いているのではないか。そう考えると、いくらリサイクルを声高に謳っても行動変容には繋がりづらい。むしろ今、手の中にある空のペットボトルは“ゴミではない”という気づきを与えることの方が大切なのではと考えた。空のペットボトルは、新しいペットボトルの原料になる、つまりこれは大切な“資源”だと言える。日本人には元来“もったいない精神”が強く根付いているので“資源=価値がある”と分かっているものをゴミにするのはやや罪悪感を伴うと思われる。最終的にこの活動の中核をなす考えが「ボトルは資源!」というコピーに集約された。行動変容を促したい時に「こう行動してください!」と伝えるだけではなく、レイヤーを一つ上げて「なぜ行動していないのか?」を考えることで新しい切り口にたどり着けることはとても多いと感じる。

●環境対応とコスト~資生堂BAUM~

環境対応型の包材や加工はコストが上がってしまうことが少なくない。結果、価格コンシャスな日用消費財での採用が難しくなってしまう。主に100~200円ほどの商品開発に携わっている私からすると、高価格帯の嗜好品で環境対応されている商品を見ると「コストに余裕があると環境にも配慮できちゃう。いいですねぇ…」と小さな嫉妬をしてしまう。
23年にJPDA大賞を受賞した資生堂BAUMはその代表格だと感じた(「BAUM」は自然との共生、サステナブルな社会の実現を目指したスキンケアシリーズ)。そして、嫉妬しつつもこういった商品は絶対に必要だと考えている。理由は二つある。
一つ目は技術の進化を支えるという点である。先述の通り新しい技術はコストが高かったり、製造上の課題があることが少なくない。包材費に多少なりとも余裕のある高付加価値商品が、積極的に環境対応型の技術や素材を採用することで、技術が発展し、コストもこなれてくると考えている。その結果、日用消費財へと裾野が広がっていくことが期待できる。
二つ目はファッションショー的な役割だ。華やかなファッションショーに並ぶ洋服を、万人が着て楽しめるかと言われるとちょっと難しい気もする。ただ、私たちの想像の一歩先を提示されることで、誰もが未来にゾクゾクすることができる。そして、ショーに登場したデザインのエッセンスが1年後の私たちの洋服に散りばめられていく。「時代はこっちを向いているよ!」と強い発信力を持って、ワクワクさせてくれることが非常に重要な役割の一つだと考えている。資生堂BAUMがJPDA大賞を取った際の審査会に参加させていただいていたのだが、獲得の一番の理由は“圧倒的に素敵だった”の一言に尽きる。知覚上の美しさ、ブランドの背景に流れるストーリー、サステナブルなモノづくり、その全てが生活者の“豊かさ”に寄与するよう丁寧にデザインされていた。

■生活者の価値観

ここまで、作り手側の視点で話を進めてきた。しかし、いくら環境にいい商品やサービスを開発しても、それを使う生活者の価値観の変化がなければ今の状況は続くと思われる。使い捨ての便利さを知ってしまった私たちは、その利便性を手放せずにいる。ではどのようにすれば価値観を変えてゆくことができるだろうか?最後に、私が好きな“民藝”から、環境課題に繋がる人とモノの関係性についてヒントを探りたいと思う。

大正15年、柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって民藝運動が提唱された。それは“名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具に健やかな美しさが宿る”という新しい美の概念であった。その土地の素材で、必要な機能を満たすように作られた無理のない“自然”な道具たち。更に、それらの道具を使い続けることで美的価値・使用価値が高まると考えられた。柳は次のように述べている。「物を無視して用はなく、又心を無視して用はないのです(用=“生活”と書きかえることもできる)。ですから用いることは同時に悦ぶことでもあるのです※」。私はこの一文に人とモノとの“丁寧”な結びつきを感じた。くり返し使い、人から人へ受け継ぐこともあるようような愛着を伴う関係性とも言えるかもしれない。
これは、生産・消費・廃棄という直線的な経済システムに於ける人とモノとの関係性とは明らかに異なる考えだ。持続可能な社会に向けて、示唆に富んだ価値観だと感じる。

環境というテーマは非常に難しい上に、避けて通ることはできない。しかし、これを“課題”と捉えるか“機会”と捉えるかは考え方次第だと思う。そしてモノ作りに携わる以上、生活者が“用いることで、悦びを感じられる”ような商品、サービス、パッケージとはどういうものかを探求し続けたいと心を新たにした。

※『工藝』柳宗悦「どんな品物を拵えるか」より

■参考文献
雑誌『民藝』700号
『工藝』柳宗悦
『工藝の道』柳宗悦
『芸術人類学』中沢新一
『サーキュラーデザイン:持続可能な社会をつくる製品・サービス・ビジネス』水野 大二郎 (著)、津田 和俊 (著)、図解総研(図)
『すてるデザイン-持続可能な社会をつくるアイデア』永井 一史+多摩美術大学 すてるデザインプロジェクト